放蕩息子

2009年 4月28日 手術後35日



実家から持ってきたアルバムの中からこんな写真が出てきました
昭和34年の名古屋市北区界隈の風景です
兄と一緒にヘリコプターを眺めている処です
自分の人生で一番輝いていた時は、やはり幼少時代だったと思います
日本は高度成長期、周りの野原にはあちこちに杭が打たれ、
次々と新しいビルが建って行きました。現在と航空法も違うのでしょうか
ヘリコプターが近くの空き地に着陸したり、セスナ機が超低空で小さな
パラシュートをつけた景品を町中にばら撒いたり、今では考えられない
大雑把さ・大らかさがあの頃の日本にはありました

どこの家庭も少し貧しく、それでいて元気で
子供達は夕方腹ペコになるまで野原を駆け回っていたものです
当時「2B弾」という爆竹を投げ合う遊びが子供達の間で流行っていました
これまた今では考えられない破壊力が大きくて危険な爆竹です
後に子供の負傷事故が相次いだ為、製造が中止になった様です

この爆竹が欲しくて、母親の財布からお金を抜き取り
駄菓子屋で箱一杯の2B弾を買って来て、友達に配りました
とんでもない悪ガキですね

これが、今でも延々と続いている親不孝の始まりでした
その時、駄菓子屋に漂っていたお好み焼きのソース匂いと2B弾の
火薬の匂いが今でも忘れられません

誘惑と罪の甘酸っぱくて「 きな臭い 」匂い


おかあさん ごめんなさい





                 写真はネットから拝借しました懐かしの2B弾です

しもつかれ

2009年4月27日 手術後34日経過

栃木県に移り住んで29年になります
春になると、栃木県ではよく「しもつかれ」(写真)という家庭料理を作ります
あるお宅で、おばあちゃんが箸でとって僕の素手にのせてくれたのが
僕の「しもつかれ」初体験でした

       「  えっ  」

手にのせられた、ひんやいとした得体の知れない物体に驚きました
やや魚臭さと見た目の悪さが第一印象で、あわてて
一気に飲み込み、生臭い後味だけが残りました
その時の体験がトラウマになり「しもつかれ」恐怖症になったのです
ありゃ食べるものじゃない・・そう思い込み続けて二十数年

先日、「健康の為に」と妻の実家で作ってくれた「しもつかれ」を
鼻をつまんで思い切って食べてみました そうしたらこれが

       「  美味しい  」

こんなに美味しいものだったとは・・・
鮭と大豆と大根と人参が見事に混じり合った絶妙な味
これを発明した「 栃木県の人は偉い!」 
いい加減ですね

下の写真は日光市今市商店街で毎年開催される
「しもつかれコンテスト」の模様です 一時間以上の待ち時間を覚悟で、
僕と妻も参加して来ました 50種類以上の「しもつかれ」を試食して
評価するのですが、全部美味しくて優劣がつけられない!
お腹一杯になり いやあ ご馳走様でした

其れほどまでに「しもつかれ」に入れ込んでしまった僕は
ほとんど 「 栃木人 」です 

美味しいですよ !「 しもつかれ 」 は



                     商店街には長蛇の列が