放蕩息子

2009年 4月28日 手術後35日



実家から持ってきたアルバムの中からこんな写真が出てきました
昭和34年の名古屋市北区界隈の風景です
兄と一緒にヘリコプターを眺めている処です
自分の人生で一番輝いていた時は、やはり幼少時代だったと思います
日本は高度成長期、周りの野原にはあちこちに杭が打たれ、
次々と新しいビルが建って行きました。現在と航空法も違うのでしょうか
ヘリコプターが近くの空き地に着陸したり、セスナ機が超低空で小さな
パラシュートをつけた景品を町中にばら撒いたり、今では考えられない
大雑把さ・大らかさがあの頃の日本にはありました

どこの家庭も少し貧しく、それでいて元気で
子供達は夕方腹ペコになるまで野原を駆け回っていたものです
当時「2B弾」という爆竹を投げ合う遊びが子供達の間で流行っていました
これまた今では考えられない破壊力が大きくて危険な爆竹です
後に子供の負傷事故が相次いだ為、製造が中止になった様です

この爆竹が欲しくて、母親の財布からお金を抜き取り
駄菓子屋で箱一杯の2B弾を買って来て、友達に配りました
とんでもない悪ガキですね

これが、今でも延々と続いている親不孝の始まりでした
その時、駄菓子屋に漂っていたお好み焼きのソース匂いと2B弾の
火薬の匂いが今でも忘れられません

誘惑と罪の甘酸っぱくて「 きな臭い 」匂い


おかあさん ごめんなさい





                 写真はネットから拝借しました懐かしの2B弾です

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