こいのぼり



2009年 4月30日 手術後 36日


昨日は仕事で「かすみがうら市」へ出掛
けました。帰る途中、面白い風景に
出会ったので車を止めて
撮影してしまいました


霞ヶ浦ふれあいランドの虹の塔 60Mの高さから張られた
ロープにたくさんのこいのぼりが泳いでいるではありませんか

そうか・・・もうすぐ子供の日なんだ

5月5日になると、子供たちにせがまれて良くデパートの
ターボレンジャーショーやウルトラマンショーに連れて行ったなあ

芝生でくつろぐ親子の姿を見ながら
遠い日の子育てを思い出してしまいました

今度は孫と遊ぶ番かな・・

スーパードクター

2009年 4月29日 手術後36日目

昨晩、一昨晩はTVのドキュメンタリー番組に釘付けでした
一つは鳥越俊太郎さんのガン闘病記録で、ご自分の手術の様子、
家族、プライベートを全て公表していく内容です
圧巻は肝臓癌を摘出する場面、医師が摘出した臓器を家族に
見せている映像には驚きました。合計3回の手術治療が行われた様ですが、
鳥越さんの 「 疑わしきは手術にて取り去る 」 という治療に 対する
一貫した姿勢に「 潔さ 」を感じました さすが戦場を駆け抜けてきた
ジャーナリストだけあります

もう一つは日本のスーパードクター達(外科医)を紹介する
ドキュメンタリー番組です。あの有名な脳外科医福島医師の困難な手術
の様子に手汗握りました。何よりも感銘を受けたのは、手術後、患者に
完治、希望、と書いて小さな亀の折り紙を作って渡す場面です
TV番組へのポーズもあるのでしょうが、その腰の低さ、語り口の
柔らかさ 、思いやりに満ちた一言一言に「 一流である事 」の資質を
感じました。 僕の手術執刀医のドクターKも正にその通りの方です
機会があれば是非TVに登場して頂きたい医師です

以前までは「医者」=「金儲け主義」という意識が頭の片隅にあったのですが
とんでもない! 自分の体験から判ったのですが、医師とは志が高く
人間的にも素晴らしい方々の集まりである事を知りました

それにしても、番組中の手術は30分、長くても3時間で終わって
いました。 僕の場合5時間以上、前立腺摘出手術というのは
かなり難しい手術なんですね





        南蛮医術伝来を記念する像(大分)ネットより拝借しました

放蕩息子

2009年 4月28日 手術後35日



実家から持ってきたアルバムの中からこんな写真が出てきました
昭和34年の名古屋市北区界隈の風景です
兄と一緒にヘリコプターを眺めている処です
自分の人生で一番輝いていた時は、やはり幼少時代だったと思います
日本は高度成長期、周りの野原にはあちこちに杭が打たれ、
次々と新しいビルが建って行きました。現在と航空法も違うのでしょうか
ヘリコプターが近くの空き地に着陸したり、セスナ機が超低空で小さな
パラシュートをつけた景品を町中にばら撒いたり、今では考えられない
大雑把さ・大らかさがあの頃の日本にはありました

どこの家庭も少し貧しく、それでいて元気で
子供達は夕方腹ペコになるまで野原を駆け回っていたものです
当時「2B弾」という爆竹を投げ合う遊びが子供達の間で流行っていました
これまた今では考えられない破壊力が大きくて危険な爆竹です
後に子供の負傷事故が相次いだ為、製造が中止になった様です

この爆竹が欲しくて、母親の財布からお金を抜き取り
駄菓子屋で箱一杯の2B弾を買って来て、友達に配りました
とんでもない悪ガキですね

これが、今でも延々と続いている親不孝の始まりでした
その時、駄菓子屋に漂っていたお好み焼きのソース匂いと2B弾の
火薬の匂いが今でも忘れられません

誘惑と罪の甘酸っぱくて「 きな臭い 」匂い


おかあさん ごめんなさい





                 写真はネットから拝借しました懐かしの2B弾です

しもつかれ

2009年4月27日 手術後34日経過

栃木県に移り住んで29年になります
春になると、栃木県ではよく「しもつかれ」(写真)という家庭料理を作ります
あるお宅で、おばあちゃんが箸でとって僕の素手にのせてくれたのが
僕の「しもつかれ」初体験でした

       「  えっ  」

手にのせられた、ひんやいとした得体の知れない物体に驚きました
やや魚臭さと見た目の悪さが第一印象で、あわてて
一気に飲み込み、生臭い後味だけが残りました
その時の体験がトラウマになり「しもつかれ」恐怖症になったのです
ありゃ食べるものじゃない・・そう思い込み続けて二十数年

先日、「健康の為に」と妻の実家で作ってくれた「しもつかれ」を
鼻をつまんで思い切って食べてみました そうしたらこれが

       「  美味しい  」

こんなに美味しいものだったとは・・・
鮭と大豆と大根と人参が見事に混じり合った絶妙な味
これを発明した「 栃木県の人は偉い!」 
いい加減ですね

下の写真は日光市今市商店街で毎年開催される
「しもつかれコンテスト」の模様です 一時間以上の待ち時間を覚悟で、
僕と妻も参加して来ました 50種類以上の「しもつかれ」を試食して
評価するのですが、全部美味しくて優劣がつけられない!
お腹一杯になり いやあ ご馳走様でした

其れほどまでに「しもつかれ」に入れ込んでしまった僕は
ほとんど 「 栃木人 」です 

美味しいですよ !「 しもつかれ 」 は



                     商店街には長蛇の列が
                     

精進料理

2009年4月26日 手術後33日 退院後17日

前立腺全摘手術から早いもので1カ月経過しました
術後続いていた会陰部の痛みも次第に薄れ
歩行もだんだん普通通り出来る様になりました
尿漏れも普段は殆ど無いのですが、しゃがんで立ち上がる時
動きが激しい時などにはやや漏れる感がします。
念のため尿漏れパッドは一日一枚当てています

体調が戻るにつれて食欲も急激に復活して
手術前にあれ程自制していた食生活だったのに
最近は暴飲暴食!歯止めが利かなくなりつつあります

退院後、みなさまから頂いたお見舞(殆どが洋菓子)を
節操も無く食べ続け、体力を戻すという理由で乳製品・肉食も復活
させた為、体重は増加 お腹は出っ張り始めました

         反省!

若い頃には肉と酒が無い夕食なんて考えられませんでした
そして外食はステーキ・ピザ・マクドナルド・ケンタッキーが定番
喉が渇くとコーラのがぶ飲み 夜は必ずビール・・今考えると
「癌」になって当然の食生活を数十年続けてきた訳です

昨晩は久し振りに肉抜きのベジタブル・オーガニック?ディナーでした
(玄米ご飯、大根の煮付け、菜の花のお浸し、ゴマ豆腐)
素朴な食材の風味が自分の中に眠っていた日本人の
食への感性を目覚めさせてくれます

「  むさぼらないこと ・  感謝  ・  喜び ・  祈り  」

癌を患う事で 「大切なもの」が見えてきた、判ってきた様な気がします

いまいち

2009年 4月25日 手術後32日 退院後16日




昨日もとてもいい天気!近所の農家では水田に
水を引き始めました。その風景があまにに綺麗
だったのでカメラに収めました

僕の住む日光市落合地区は一昨年の市町村合併前までは
今市市でした。この「いまいち」という名はよくギャグに使われて
笑いの種でした。  「 いまいち病院 」 「 いまいち食堂 」
「 いまいち高校 」・・等々 やっと この「いまいち」 から開放
されたのですが、いやはや今頃になって愛着が湧いて来ました

この町に住んで18年
北側には日光連峰、近くには東照宮に続く例幣使街道の
杉並木があり、春はスギ花粉、冬は男体山降ろしの北風が
厳しい場所なのですが、僕と妻は気に入っています

人々は優しくて働き者 空気と風景は美しく
地域の運動会 夏祭り 盆踊りが 素晴らしい
それに何と言っても「水」が美味しい!

海の見える暖かい場所で老後を送るのが夢だったのですが
この 「 いまいち 」 の土地で妻と猫達と老いて行くのも
まあいいかなあ 

              写真は北側の風景 男体山 日光連山

菜の花畑

2009年4月24日 手術後31日 退院後15日





朝から清々しい風が吹き天気も
いいので、朝早く妻と一緒に近所の
菜の花畑に行って来ました。
昨年末、町内会の皆さんで休耕田に
播いた種が見事に花開きました

これ等は全て食用の菜の花なので、
菜の花好きの僕としては、ついよだれが
出てしまうのですが、でも菜の花は花が
開く頃はあまり美味しくないとの事
・・・・・・・残念!
来年は花咲く前に是非! 左の看板の様に採り放題だそうなので・・・

春夏秋冬、花鳥風月、日本に生まれた
事を 嬉しく思います
そして今年程、春の風景を美しく感じた
事は ありません


花々の華麗さ  若葉の生命力
鳥達の可愛らしさ  春風の心地よさ


                   それは、きっと癌を患う事で
                   柄にも無く 「 死 と 生 」
                   を考えた結果だと思うのです

「 生きている 」 「 生かされている 」 それだけで充分
そう思えるのは「癌」になったお陰・・・・「癌」が教えてくれた




操縦棹




2009年 4月23日


手術後 30日 退院後 14日




写真はボーイング747のキャプテン側の
ヨーク(操縦棹)です成田航空科学博物館にて
撮影しました どれくらいのフライトを経てきた
のでしょうか  この塗装が物語ってくれます

ボーイング737/747のヨークに憧れて以前、オークションを
探したのですが、あまりに高額なので
諦めました。アメリカの航空機ジャンク売買
業者でも7~8万円の価格がつけられています
となるとやはり自作するしかない

ネットを駆使してB737のヨークの寸法を
推測して図面を引いてみました
5cm厚MDF材2枚を使用して
ジグソーとトリマーにて削りだしてみました

B737ヨークは立体的な要素が大きいの
で、削りだしにはかなりの時間を要して
います

内部にトリム等スイッチ類配線の為、トリマーにて
溝を入れてあります

            ベースの部分はかなりいい感じで仕上がりました

トリム スイッチ類を取り付ける両端
は別に加工してあります

これもMDF材を削ってみました
昔、近所に器用なお兄ちゃんがいて
ゼロ戦やグラマンの見事な
ソリッドモデル(木を削って作る模型)
を作っていたのを思い出しました
このヨークはまだまだ完成しそうに
ありません

ALWAYS



2009年4月22日 手術後29日 退院後13日

子供の頃、春の楽しみは庄内川堤防での「つくし」摘みでした

その頃名古屋に住んでいたのですが、名古屋では「つくし」を食べるのが

当たり前、大人達がわれ先に「つくし」を見つけては採ってしまうので

子供には見つけるのは大変でした。それでも数少ない「つくし」を

子供達だけでフライパンで炒めて食べたのは 美味しかったなあ

そんな思い出の風景の後ろには、いつも小牧空港(旧名古屋空港)の自衛隊機

のジェットエンジン調整音が聞こえていました

その「キーン」という音と近くの工場からのカーバイトの匂い、

そして町の真ん中にそびえる給水塔 上空を往来するYS-11

それらは、僕にとっての「三丁目の夕日」

大切な思い出です

(写真はYS-11 成田空港にて撮影)

 

コクピット製作 節約術

2009年4月21日 手術後28日 退院後12日





自作出来そうなパーツはダメ元でチャレンジしています
こいつはいけそうだ・・・と思ったのはギアーレバー(脚操作レバー)
既成品は海外メーカーにて2万円~3万円にて販売されています

下の写真の様にアルミパイプ棒材・フック・スプリング・キャスター用タイヤ
(全てホームセンターにて調達)を前述の自作加工グラインダーにて
加工してみました。部品代金合計1350円也
ラッチレバーはスプリングにて可動する様仕上げました
フック(家具等に使用のありきたりのフック)をアルミ棒に取り付ける図
塗装して更にレタリングシールにて其れらしくなりました
レバーをMDF材で作った台座に取り付けて上げ下げ角度等調節して
完成!これに2個マイクロスイッチを取り付けてエミュレーター回路に配線
合計2000円弱で出来上がりました

蕎麦道

2004年4月20日 手術後27日 退院後11日

僕の住む日光(落合地区)は蕎麦が美味しい処らしいです
らしい・・というのは、僕自身 蕎麦に対してあまり執着していない為で
家で妻が作る蕎麦が一番美味しいと思い込んでいるからです
しかし、近所にある「野点庵」だけは別格
遠来のお客様を案内して時々ここの蕎麦を食べる事があります

案の定、訪れると 駐車場は他県ナンバーの車で一杯
当然満席! 待つ事一時間 やっと蕎麦にありつけました

いつも思うのですが、蕎麦って何故ボリュームが少ないのでしょうか?
みなさんあの量で満足しているのか 不思議です
池波正太郎さんの本によると 蕎麦は噛んで食べてはいけない
日本酒と一緒に食べる・・云々 色々流儀があるみたいです

つまり、「茶道」の様に「蕎麦道」というものがあり
蕎麦は単なる食料では無く
精神・作法を表す「何か」なのでしょうか

でも美味しかった
池波さんのお教え通り最後は
蕎麦茶でしめくくりました

Y分岐

2009年 4月20日 手術後27日目 退院後11日目


PFDとND(コクピットの正面にある一番重要な計器類)を
キャプテンとCOパイに表示させる為にディスプレーを
単純にパラ(並列接続)させる事にしました
しかし、この様なアダプターケーブルは国内では発売されていません
となりゃ自作しか無い・・という事で自作したのが写真です
老眼がかなり進んでいる為、フラットケーブルには色分けされた
「レインボーケーブル」が使い易いです(やや高価なのが難)

コネクター3つ ケーブル少々 ケース で合計約1000円にて
出来上がりました 結果はご覧の通り 一台のPC VGA出力にて
2台の液晶表示に成功!



ブランディー


2009年 4月19日

手術後26日 退院後10日


今日は朝から大騒ぎ 
我が家の古猫「ブランディー」は何よりも爪切りが大嫌い
逃げまくる彼を写真の様なカーラーを取り付け押さえつけて
爪切りはやっと終了しました
ブランディーは6年前知人から譲り受けた雄猫です
彼の母親は交通事故で瀕死の重症を負いました
その時、お腹の中から3匹の子猫が出てきました
2匹は既に息絶えていたのですが、彼だけが生き残り
そして、家にやって来た訳です 
猫は気まぐれで、飼い主に媚びないで
自己中心だと言われています
確かに、時として何を考えているのか
掴めない事が多々あります

しかし、退院して我が家の玄関を開けた時
僕に駆け寄って来る彼を見たとき
言い知れぬ愛おしさを感じたものです

Time is money

2009年4月19日 

コクピット正面パネル両側の時計をどうするか?
航空機操縦にとって時計はとても重要な計器らしいです
FMC(航空機運航を制御するコンピューター)の軸となるのも
時間・速度・位置 であり 又、有視界飛行においても
時間を計りながら飛行する事も常です
残念ながら、フライトシュミレーターと連動する時計の
表示方法が考えつかなかった為、時計は単独に動く
ダミーとして取り付けました。液晶部分もダミー表示です
時計のムーブメントは100円ショップで見つけたメカで
問題無く動いています 当分この時計で我慢します

ついでに時間について
「  時間と金にルーズな人間になるな  」というのが
僕の主義です。ビジネスでは約束の5分前には到着する様
努めてきました。その調子である日、アメリカ人の顧客宅へ
5分前に到着  驚いた事に 真っ赤な顔で怒りに満ちた
アメリカ人が現れました

 「約束の時間と違うぞ!失礼だぞお前は!」

アメリカの習慣では約束時間の前に訪問するのは
失礼な事・・・この事を知ったのは後の事でした


                      いい感じで動くダミー時計

Entrance or  Exit

2009年 4月18日  手術後25日 退院後9日


本日からシャバに復帰します

人間の心とは壊れやすく 又、思ったよりも逞しく出来ている様です

今、振り返るとあの入院生活が懐かしく思えるのは 何故でしょう?

手術後、発熱と繋がれたチューブのうっとおしさ

血圧低下アラーム音 酸素吸入の消毒臭さ 等々に

あれ程閉口していたのに・・辛い事はどんどん忘れて行きます

写真は深夜の病室入り口です

天国への入り口 もしくは 最後の審判の出口の様な

不思議な畏れを覚えてシャッターを押しました

あの日々が夢の中の出来事だったように思える

今日この頃です

自宅療養最終日

2009年4月17日
手術後24日 退院後8日



今日で自宅療養は終わります 
明日から、いよいよ職場に復帰します
明日からこのブログもなかなか更新出来ない
かも知れませんが どうか、ご容赦下さい

実は、今回の手術入院の前、3月13日
僕の愛猫「ポン」が天国に召されました

今まで多くの動物達(ペット達)との別れがありました
セキセイインコ・モルモット・亀・文鳥・猫達
彼らから教えて貰った大切な事があります それは

  「  病 ・ 死 を静かに受け入れる高潔さ  」       

以前 教会でこんな祈りを聞きました
    
  神様 私に変えることのできないものは

  それを素直に受け入れるだけの

  心の平安を与えて下さい

  変えることのできるものは

  それを変える勇気を与えてください

  そして何がかえられるものであり

  何が変えられないものかを

  見分ける知恵を この私にお与えください            

無言で死んで行く動物達のその清く澄んだ瞳の奥底に
イエスやブッダの語る天国の輝きが 一瞬よぎるのは
飼い主への最後の贈り物なのでしょうか

ありがとうポンちゃん



(写真はよく昼寝していたハナミズキの木陰にて)

      



 

ネットワーク構築








2009年4月17日

コクピットの最大の難所は各ディスプレー類の表示
つまり、各コンピューター間のデーター のやりとりです
多くのコクピットビルダーはProjectMajentaという
データー共有ソフトを使用しています
このソフトウェアーは8万円を越える為、やはり貧乏ビルダー
の僕としては手が出せません 色々ウェブにて探した結果、
FsXPandといフランスのGert Heijnisが製作したソフトが
僅か一万円以内で販売している事を知りました

FxPandはビルダー入門者には非常に扱いやすいデーター共有ソフト
で、ProjectMajentaではフォローされていないフラップメーター
更にブレーキオイルプレッシャーメーター・
アナログ コンパスまで加えられています







フロントパネルには19inchモニター
を3台(勿論、オークションにて)
一台1万円前後で購入
枠類は全て取り外して使用して います。
ディスプレーのスイッチ類基盤は安全の為、フレームに固定してあります
又、電源スイッチはパネル部のスイッチに連動させてあります

下の写真はFsXPandにてディスプレー表示させたものです
試しにProjectMajentaのDemoをインストールして
計器類を動かしてみましたPFDとNDを手動操縦にて使用
するのであれば、さほど違いは無い様です
FMC等が複雑に絡んで来ると話は別なのでしょうが・・・

EICASに関して言えばフラップメーター・スタンバイメーター類がある分、
FxPandの方が優れていると思います 
ディスプレー毎のPCはLANによってネットワーク接続され
データーを共有しています
下は裏側上方からMCP EICASを見た写真です
                パネルサイズに合わせる為にディスプレーを
                横向きに固定して 画像を回転させてあります                   


人生劇場


2009年4月16日 手術後23日経過
前立腺癌の告知を受けてから
ネットは勿論、色々な書籍を
むさぼり読みました
近年、これほどまでに集中して
読書をした事はありません
前立腺癌に対しての医学的知識はもとより
癌を患った事を自分自身が如何に納得するか
その様な癌患者哲学の様なものを探しました
今現在、癌告知を受けたばかりの方がおられるのでしたなら
    アドバイスを一つ
本屋に並ぶキャッチーなタイトルの闘病記は読まない事
何故なら文学としての闘病記の多くは悲劇的な結末が
待っている 又、読者は潜在的に( 癌=悲劇の主人公 ) 
お涙頂戴的な展開を期待している
癌になった自分を哀れみ 涙する 
そんな三文小説的な感情に陥ってはなりません!
入院して良く判りました 人間はそんな「ヤワ」じゃ無い事を
僕の入院した病棟には生命力が満ち溢れ
患者同士の「俺の癌ほど酷く大きな癌は無いぞ」
「私はこれで入院3回目だ」「なんだ 俺は8回目だよ」
「いや俺の手術跡も見てくれよ ほら ほら」
武勇伝もしくは病気自慢の会話が笑いと共に飛び交っていました
そして数日後、みなさん元気に退院して行く姿を見て
この人達を小説化しても売れないだろうなあと感じた次第です
癌を患う事=そんなに哀しい事では無い=特別なでは無い
そう思える今日この頃です

ギター遊び

2009年 4月15日




入院する事により体力・筋力の衰えは

当然覚悟していましたが、もう一つ

趣味のギターの腕が落ちる?事も

大問題でした(大した腕ではありません)

オヤジバンドが全盛の昨今、むさ苦しいオヤジが

懐メロロックもしくはブルースを演奏する姿に嫌気

がさしていたので、斬新な音楽を目指している

現在のバンドに参加させて貰いました

問題は僕のギタースタイルです

やはりそれなりに出てくるフレーズが「古臭い」ので

常にYOUTUBEで最新の音楽のチェックをしています

今ハマっているのは「Raul Midon」  入院前になんとかコピーした

名曲 State of Mind を朝から 練習しています

次回のライブにそれらしいフレーズが出せる様 オヤジは頑張ります

何故 いい年してバンドなんかやっているの?

息子達に聞かれるのですが、若い頃 ギター演奏は自己顕示欲の

はけ口でした。兎に角「早弾きギタリスト」を目指して日夜練習

したものです(思い出すと赤面してしまいます)

現在はLIVE会場の演奏者・お客さんとの一体感をじっくりと

楽しんでいます 「 時間・空間を共有する喜び 」

これかなあ  バンドが止められない理由は・・

カッコつけ過ぎかな


写真は昨年末の「アコースティックライブ」の様子です





病室にて










2009年4月14日

まだ手術後21日目だというのに
入院生活を懐かしく想い出しています

カンファレンスルームにおいて
ドクターKから諌められた言葉
「 自分の病状、病期について病室に 戻ってから
他の患者に話さない様に・・」

つまり、同じ癌患者同志でも 病状・病期の「軽い 重い」があり、
その事を比べてしまって 大変落胆する患者さんもいるので
配慮すべし・という意です

病室では「同病相哀れむ」事に甘んじてしまい、つい
「土足で人の心に踏み込んで」 しまいがちです
しかし、「ささいな一言で」病人は 一喜一憂してしまいます
自らがそうだった様に ・・・

看護師さん達は良くわきまえていて、僕の検査結果を
病室のカーテンを閉めてメモ帳への筆談で知らせてくれました

自分の事の様に無言のガッツポーズと
満面の笑みで共に喜んでくれたのを
懐かしく思い出しています

ハイテクパンツ








2009年4月14日



前立腺癌全摘手術の後遺症 として心配なのは、
何と言っても 尿漏れでは無いでしょうか
手術前からこの事を心配していた 妻が
新聞広告で「吸水ボクサーパンツ」 という
凄いネーミングのパンツを見つけてくれました
昨日これが到着したので 紹介します
 
写真の様にボクサータイプの若々しいルックスで
裏地にはポリエステル ポリウレタンの
吸収材が縫い付けてあります 履き心地と見た目も
全く 普通のパンツです
これで「30ccチョイ漏れ対応」との事
勿論洗濯して何度でも使用可能

驚いたのは、
同梱されていたカタログによると
吸収力200cc対応の
「ジャジャ漏れタイプ」もある
との事
更に、吸収材にキチン
キトサン繊維を使用して
脱臭強化 したタイプもあり、
この分野での日本の 技術力の高さを感じました    

本来の使用目的は高齢者の尿漏れ対策商品なのでしょうが、
前立腺全摘患者にとって正に救世主です!

もうこれで尿漏れは心配いりません

ダイエット

2009年4月13日                                 

癌告知を受けた昨年11月から

手術に耐えうる体力を付ける為

5時起床 40分間のウォーキング

50回のスクワット運動を実行して来ました

玄米菜食とこのトレーニングのお陰で72Kgの

体重は53Kgまで減量出来ました。しかし痩せるだけで

元々骨細の上半身は益々貧弱になる一方  これじゃいかんと言う事で

写真のダンベルを購入しました(一個2Kg)毎日150回の腕力増強トレーニング

が加わったのです 

この急激なダイエットは手術時の低血圧・貧血の一因になりました

(ドクターから体重を出来るだけ元に戻す様 指示があり)

しかし、検診の度に看護師さん達から

 「 いやだ! 私より体重が少ないじゃないの! 」

との 褒め言葉かお叱りか判らない評価を頂く度に

僕は あまり意味の無い優越感に浸るのでした


ケビン


2009年4月13日
朝から我が家のお嬢さん
「ケビン」が発情期を迎え 
この時期特有の猫の
「媚びた」鳴き声で大騒ぎ
「ケビン」は昨年の6月に
教会の入り口に
ダンボール箱に入れられて
捨てられていました
その日の内に牧師さんが
殺処分場に運んでしまった為、
急いで殺処分場に先回りして
救ったのがこの子猫です
猫の性格は首をつまんで持ち上げた時、
後ろ足を曲げるか、つっぱって伸ばすかによって判るそうですが
「ケビン」は後者で、とても気が強い子猫です
最初は雄に間違い無いと思い「ケビン」と名付けたのですが
後に獣医さんによりメスである事が判明!
性格が「やんちゃ」で男の子そのものだから
「ケビン」という名 そのままにしました
客観的にみると決して可愛く無い子猫ですが
入院中思い浮かべたのは
いつも「ケビン」の事ばかりでした

民間療法について

2009年4月13日

前立腺癌摘出手術をしてから、
本日で20日目になります
あれ程心配していた尿漏れも
術後から殆ど無く、
(椅子に座る際、会陰部を圧迫
する時に多少漏れる程度)
念の為に当てている 
尿漏れパッドは一日一枚交換
ペースです


退院してからは自然の回復力と
自分の健康管理によって傷を治すしか術がありません

写真は半年前から実践している枇杷の葉温灸器です
毎朝、1時間程 下腹部 背中 つぼの要所にあてています


僕は代替療法(民間療法)に関して大変な嫌な印象を持っています
それは、ネット上を賑わす サプリメント 食事療法テキスト等が
法外なまでに高価である事、言葉巧みに人の弱みにつけこむ商いに
「振り込め詐欺同様の」悪意を感じるからです


そんな中僕が唯一関心があるのは、東城百合子さんが提唱している
食事療法です。(玄米菜食・枇杷の葉療法)にはそういった金儲け
主義の意図は全く感じられません

昨年の秋、東城百合子さんの宇都宮での講演会に参席しました
巷の健康食ビジネス路線からはほど遠い方であり、
媚へつらう事無く(むしろ厳しさに徹して)玄米菜食
自然療法を訴える姿勢に感服・共感しました


幸いにして友人から枇杷の葉を大量に貰う事が出来たので
枇杷の葉を煎じた「枇杷茶」 更に焼酎に漬け込んだ
「枇杷の葉エキス」を写真の温灸器に注入して使用しています
お金は殆どかかりません


ネット上には多くの民間療法体験記が氾濫しています
「○○で癌が消えた・・」というキャッチフレーズが目に付きます
しかし、冷静になって下さい。民間療法に至るまでに
殆どの患者さん達は 放射線療法 ホルモン療法 等を
病院で受けているのです  その効果が現れるには時間を
要する訳です  たまたま民間療法を受けたタイミングが
その時期に一致しただけにすぎないのでは無いでしょうか
特に前立腺癌が消えた・・・その時期はホルモン療法の効果
時期である事は容易に想像がつきます


癌は生活病である・・この事は否定しません
食事・ライフスタイル・精神 の改善により 自然治癒を試みる
これこそ唯一の「民間療法」だと思うのですが

MCP

2009年4月13日

GaikJukubから到着したパネルアッセンブリーの荷を早速開梱して

みると、残念な事にMCPのパネルの一部に写真の様な損傷が・・

早速写メールにて状況を連絡すると、新しいMCPを送ってくれました

但し、電気回路 スイッチ類 LED類は全て装着し直さなくては

なりません この作業に一日を費やしました

憧れのMCPの為・・・・この手の手間隙は苦になりません

手作業でハンダ付けされた各アッセンブリーを外しながら

遠いポーランドの空の下、黙々とコクピットを組み立てている

「青い目の飛行機オタク」の事を考えながらの作業になりました